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心と身体を癒す 〜東西両医学による養生〜
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東京都港区三田のほり鍼灸専門治療室の代表、鍼灸治療家・堀雅史が、東洋医学と西洋医学の智恵を活かし、心と身体の癒しにつながるメッセージを発信します。
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靴下の効用

2011/11/09 11:21
さて、今回は季節にあわせた“冷え対策”についてお伝えします。冷え症の方にとって、靴下を履いて足先を保温するというのは定番の対策かと思いますが、この方法、あなどれない威力を発揮してくれます。

冷えが重度の場合には、これだけで万事解決とはいかないかもしれませんが、軽度であればあきらかに自覚症状が改善します。

冷えは、『手足の冷感』以外にも様々な症状に関連してきます。

・トイレが近い
・鼻水がでる
・足がつる
・便がゆるい
・腰痛
・膝や足の関節痛
などなど

これらは、全て冷えからくる症状です。以前に、頭寒足熱が大切であるとお伝えしました。上半身はのぼせることなく、下半身はしっかり暖まっている状態のことです。冷え対策で大切なのはお腹から下を冷やさないことなのです。そこで有効なのが、靴下です。

実は私自身、しばらく前まで起床後に鼻水がでるという冷えの症状があったのですが、寝るときに靴下を履くようにしたら、ピタッとおさまりました。

ある患者さんの話では、同じように寝るときに靴下をはいたら、それまでは夜間にトイレのために起きていたのが、一度も起きずにすむようになったとのことです。

「足先までしっかり布団をかけていれば同じじゃないの?」と思われるかもしれませんが、自身の体験と患者さんのお話から考えると、やはり靴下で足先をすっぽり包むことならではの効用があるように思います。

冷え症状があってまだやられていない方は、ぜひお試しください。
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『地震酔い』について

2011/03/28 18:51
最近、度重なる余震のせいか、患者さんのなかでもいわゆる『地震酔い』を訴える方が多くなってきています。

地震酔いとは地震がきていないにもかかわらず揺れているような感覚がするという症状で、乗り物酔いの一種とされています。耳鼻科的には動揺病というカテゴリに入り、視覚と平衡覚のミスマッチにより起こると考えられています。

近しい症状で、長期間の船旅を終えた後、陸に上がってもまだ船に揺られている感覚がするという下船病というものもあります。こちらは、船に揺られることに身体がなれてしまったために、揺れのない状況で逆に視覚と平衡覚のミスマッチが起こるものです。

地震酔いもこれに近いと言えますが、臨床家としての見解では相違点もあると思われます。地震は身の危険をともなうために、他の揺れ刺激よりも感受性が過敏になり、わずかな揺れに対してもクローズアップして感知してしまうという点です。よって、単なる身体的な感覚の慣れではなく、心理的な修飾もなされていると考えられるのではないでしょうか。

動揺病は危険な状況から回避を促すための警告反応とも考えられますので、危険に対して敏感であることは生存上有利なことではあります。しかし、あまりにも過敏になってしまうと日常の精神的疲労が大きくなってしまいます。

そのような場合には、昂った神経の興奮をリセットするべく、気分転換するとよいでしょう。音楽を聴いたり、人と話したり、好きな場所に出かけてみたり・・・。ご自分がリラックスできることであれば、何でもかまいません。地震の揺れという刺激に対してフォーカスが固定されている状態をひとまずオフにするのです。そうそれば、必要以上の過敏性はなくなり、感じるべきものだけを感じられる状態に戻るでしょう。

ちなみに鍼灸治療は自律神経の昂りを静めるのに非常に適した治療法なので、おすすめできます。東洋医学的の立場からは『上逆(のぼせ)』も関連しているとみれますので、頭の熱を散らし、胸の痞えと背中のコリをとり、お腹を暖めるようにすると効果的と思われます。

【参考資料】
めまい.Thomas Brandt(著).五十嵐真(訳)、神崎仁(訳)、国弘幸伸(訳).診断と治療社.2003
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頭寒足熱と陰陽不交

2011/03/07 17:28
東洋医学では、身体が『頭寒足熱』の状態にあることが理想とされています。これは読んで字の如く「頭は熱がのぼせることなく冷静に冴え、足は指先まで血液が巡り暖まっている状態」のことです。

更年期障害の女性は、顔や頭にはホットフラッシュと呼ばれるほてりが現れ、足は逆に冷えている方が多いです。これは頭寒足熱の逆の『陰陽不交』と呼ばれる状態です。

この陰陽不交、実は男性でもけっこういらっしゃいます。頭がのぼせていると、頭痛、肩こり、不眠、発汗異常、集中力低下などが起こりやすくなり、足が冷えていると、腰痛、膝の痛み、こむら返り、下利、頻尿、生理痛、不妊症などになりやすくなってしまいます。

これら上半身の症状と下半身の症状がセットで現れている方は『陰陽不交』の傾向があるのかもしれません。

対策としては、まず下半身をよく暖めること。腹巻きや、レッグウォーマーを身に付け、なるべく冷たい飲食物を控えるとよいでしょう。

そしてのぼせの防止には、暖房の熱が部屋の上部に滞らないよう、サーキュレーターや扇風機で空気をまわすとよいでしょう。また、パソコンでの頭脳労働や長時間のゲームなども頭が熱を持ち、下半身の血流を滞らせる原因になりえます。以上のことを注意していただくと、徐々に体質が改善されていくでしょう。

ほとんどの病気は、普段の体質から生れてくるものです。体質は、先天的な部分もありますが、後天的な部分もあります。後者は自分次第で変えていけるものですから、できるだけ自然治癒力が働きやすい状態をキープしていけるとよいですね。
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病気の原因の大部分は自分がつくっている

2011/02/02 11:28
前回、痛みは身体に備わった『高性能危険お知らせシステム』であることを改めてお伝えしました。その続きで『痛み』を厄介者扱いしないでいただきたいという話です。

身体のどこかに痛みがでているとき、差し当たっては早く痛みが無くなって、仕事や趣味の活動に復帰できればいいと思うでしょう。

しかし“復帰しようとしているそれまでの生活パターンが、長期的に見ると実は身体にダメージを与えていたものであり、それを知らせるために痛みが起こっていたのかもしれない”ということを考えてもらいたいのです。

そして、初期のお知らせに気付かなかったり、気付いても無視してしまうとしだいに強いお知らせとして、さらに強い苦痛がでてきます。あえてきつい言い方をすれば、弱いお知らせに応じなかったツケとも言えます。

遺伝的疾患のような先天的な病気や事故などの外部要因による傷害を除けば、大部分の病気は、私達の普段の身体の使い方が原因であると言えます。

関節や節々に負担のかかる動きをしていなかったか、内蔵が疲れているにもかかわらず、飲みすぎ食べすぎをしていなかったか、体力が落ちているにもかかわらず短い睡眠時間で身体に鞭を打っていなかっただろうか、等々。病気になった時は、そういうことを見直すべきタイミングということなのです。

自分の身体に起こることの原因の大部分は自分で作っているものであり、自らが生み出した因縁ともいえるのです。

もちろん自分では解決できない専門的な問題、緊急を要する問題に際しては専門家による診療を受けるべきですし、是非そうしてほしいと思います。しかし自分の身体を守る一番の主役は自分自身であるということを知っていただきたいのです。

そのような主体性を持った上であれば、私達治療家が施す治療の効果も最大限に発揮されるでしょう。それが『生命を治療する』ということであり、『物を修理する』こととの絶対的な違いなのだと思っています。

誤解のないように付け加えておきますが、“治療家が治せなかった場合に、患者さんの責任にする”ということではありません。本当に、事実としてこう思っているのです。そうでなくては、身体を悪くする度に何かに頼らなくてはなりません。

理想としては“いつも心身健やかで、少々体調の波はあっても極端に悪くはならない”という状態を自分自身で保てることが、誰しも望ましいでしょう。そのためには今日お伝えしたような観点が必要で良いのでは、という提案をしたかったわけです。
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痛みはお知らせ Ver.2011

2011/01/04 12:38
「心と身体を癒す 〜東西両医学による養生〜」を読んでくださっている皆様、新年明けましておめでとうございます。

昨年秋にリニューアルし、月に1〜2回というスローペースにもかかわらず、読んでくださってありがとうございます。たぶん今年も同じようなペースでの更新になると思いますが、その分本当に伝えたいことだけを書いていこうと思っていますので、これからも気が向いた時にチェックしていただけたら、嬉しいです。本年も、皆様にとって楽しく健やかな一年でありますように!

さて、新年1回目のテーマは『痛みはお知らせ』であるということです。このテーマ、過去に何回もお伝えしてきていますが、またもや改めてお伝えしたいと思います。というのも、それくらい病気と向かい合ううえで大切な観点だからです。

『痛み』というのは、生理学的には体性感覚の一種であり、熱い、冷たい、硬い、軟らかい、重い、軽い、などと同じ位置づけにあります。

お湯が沸騰しているヤカンを手で触ってしまった際、もし熱さを感じなかったとしたら、手は重度のやけどを負ってしまいますよね。『熱さ』を感じられるから、私達は熱いものに触ってもすぐに手を引っ込められるのです。

それと同じく、私達は『痛み』を感じるから、避けるべき危険を察知することができるのです。

ギックリ腰をやってしまうと動けなくてつらいですね。でもあれはそれ以上動いたら、さらに深刻なダメージを受けてしまうから、痛みがでているのです。

五十肩になると腕が上がらなくてつらいですね。あれだって、それ以上腕を使ったらさらに悪くなるから痛みで危険を知らせてくれているのです。

どの痛みも『痛まないといけない必然性』があるわけです。『痛み』とは生存上有利になるために私達に備わった、『高性能危険お知らせシステム』であると言えるでしょう。

したがって、痛みが出た時には、その『お知らせされている危険』が何なのかをよく考える必要があるのです。単に痛みを抑えるだけでは、大事なお知らせの口をふさぐことになってしまうのです。

先ほどの例えで言えば、ヤカンを触ったままなのに、熱さを感じないようにしてしまうことです。いかに危険なことか、言うまでもありません。

少々ながくなるので、今回はここまでにします。次回、後半をお伝えします。
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無功徳と内発的動機

2010/12/07 17:14
さて、前回は身体の自然な欲求とフロー理論の共通点に着目してみました。今回は、再び東洋思想の観点の戻り、このテーマのまとめをしたいと思います。

禅の有名な逸話で『達磨不識』というのがあります。禅宗の開祖、達磨大師がインドから梁を訪れ、武帝に謁見した際のやりとりです。武帝の蕭衍(しょうえん)は仏教の信仰心が厚く、「仏心天子」と呼ばれる程、普及活動に力を入れていました。

武帝はそれについての自らの功徳(善行)がどれほどのものかを達磨に訊ねたところ、「無功徳」という答えが返ってきました。驚いた武帝が「あなただって、功徳があるからこうして皇帝である私に謁見できるのだろう。ならば功徳とは一体何か?」と問いただすと、今度は「不識(知らない)」と返されました。次の武帝の問いかけは、「ならば仏教の悟りとは何か?」で、それに対して達磨は「廓然無聖(かくねんむしょう)」、つまり「カラリとして何もない」と答えたのです。

この逸話は、物質的な見返りを求めるわけではなかったとしても「善行だからやる」といった動機であるならば、すでに仏の教えから遠のいていると解釈できるのではないでしょうか。

内発的動機によるフロー活動は“自己目的的活動”とも表現できます。自己目的的とは、結果に関わらず、その時、その場、その行為に没頭することで完結していることです。つまり完全に今現在を生き、それ以外のことに捉われないということです。

そのような観点に立てば「善行と思ってからやる」のは、すでに真の内発的動機とは言えないということです。フローに入る条件の一つに「今現在に集中する」というものがあります。まさしく同じことを述べているのではないでしょうか。

さて、3回にかけて東西両面の観点から、人の欲求、動機というものに着目してきました。まとめるならば、「些細な思惑に縛られることなく、心の奥からの声に耳を傾けることで、大自然の一部として悠々と生きやすくなる」ということが言えるのではないでしょうか。

この一連のテーマは、少々哲学的な方面に寄り過ぎてしまったかもしれませんね。ですが、心の在り方が定まってこそ、身体の在り方も定まるものだと思っています。今後も、心と身体の両面から癒しにつながるメッセージをお届けしたいと思います。

■参考資料
禅に問う 一人でも悠々と生きる道.形山 睡峰.大法輪閣.2008
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フロー理論と内発的動機

2010/11/16 17:14
前回は“養生”と“自然な欲求”についてお伝えしました。今回は、西洋の立場から自然な欲求についてお話しします。

心理学の分野でフロー理論というものがあります。フローとは“内発的な動機に基づく行為に無我夢中になって没頭している状態”のことです。スポーツで言うところの『ゾーンに入る』に相当する概念と言ってもいいでしょう。フローに入ると、深い集中力が得られ、パフォーマンスも挙がり、また楽しく幸せな精神状態になります。

提唱者のミハイ・チクセントミハイ氏は、「幸福とは自己統制によるものであり、外界に依存するものではない」という直感的結論について心理学の立場から検証をおこない、フロー状態の特徴や、フローに入る条件を理論的にまとめあげました。

フローに入る条件としてもっとも大切な要素が左記の『内発的動機に基づいている』ということです。内発的とは、なんの報酬がなくても自発的にそれをやりたくなってしまうということであり、これに対して外発的動機は金銭、地位、名声などといった何らか報酬のためにその行為をするということです。

チクセントミハイ氏は、フロー体験を重ねることで、自己統制能力が高まり、個人(および社会)の幸せにつながるとも述べています。フロー理論は、ビジネス、スポーツ、教育など、幅広い分野に応用されています。

さて、この“内発的動機”ですが、前回述べた“自然な欲求”と一脈通じるのではないでしょうか。最近「自分へのご褒美』というのが流行っているようですね(笑)。もちろん、ご褒美は全然OKなのですが、ご褒美が無くてもいいくらい内発的なモチベーションによって日々暮らせたら、自然と養生の心持ちである『思い煩うことなく、心にわだかまりを持たない』ようになると思います。また、外発的動機は思考による損得勘定が働きますが、内発的動機は心の底から湧きあがってくるものであり、より原始的、身体的な感覚といえるでしょう。

東洋思想では、あくまでも自然そのものに対する洞察の結果として、独自の養生観を作り上げてきましたが、西洋における科学的なアプローチからもかなり近い結論に到達しているといえます。東と西の違いはあれど、見ている対象は同じく『生命のふるまい』ですから、近い結論がでるのは自然なのかもしれません。両者の知恵を活かせるといいですね。

このテーマ、まだ語りきれません。次回も引き続きお付き合いください。

それからもう一つ。今日、この記事とタイムリーなニュースを見つけました。外発的報酬が楽しさを奪うことの脳科学的な裏づけが為されたようです。心理学では、Deci Edward氏が1975年に同様の結論をだしているようです。

■参考資料
フロー体験 喜びの現象学.ミハイ・チクセントミハイ.世界思想社.1996
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